表参道 開通
 大正九年、明治神宮の鎮座にあわせて開通。
 欅並木
 大正十年、東京で初の公園道路としての表参道の街路樹に何を用いるか、の検討会がもたれ、 「欅」が最適という結論が出されました。当時、東京市では街路樹の整備に取り組んでおり、「いちょう」「すずかけ」などの樹木による並木道が各所に誕生していました。表参道並木用の欅『201本』は「東京府費」によって準備され、大正十年秋季に植栽。その他の植樹、付帯工事は「東京市」の手によって行われました。当時の欅は太平洋戦争でほとんど失われ、現在は二代目の欅です。



ねっこ坂


ネッコ坂(ねっこざか)は、東京都渋谷区にある坂である。

ネッコ坂は、現在の住所で渋谷区神宮前5丁目12から16、旧渋谷川(穏田川)に近い穏田の商店街から郵政省住宅付近の台地上まで登る、全長約200メートルの坂である。

坂の名称の由来には、「木の根のように曲がっている道だから」というものと、「木の根がたくさん道に出ていたため」というものの二説がある
坂の歴史は古く、天保年間に作られた地図には、稲葉長門守の下屋敷と、戸田武次郎の屋敷とのあいだを通って穏田橋に通じる道に、「子ッコ坂」が記されている。天保年間に発行された府内場末其他往還沿革図書には、「ネッコサカ」とある。また、嘉永4年(1851年)に作られた地図 『青山長者丸辺の図』にも、「子ッコサカ」として記されている。この坂は、一説には鎌倉街道の一部だったともいわれる。

1909年(明治42年)には代々木の原に代々木練兵場ができたが、明治神宮や表参道が作られる以前のこの頃、この狭い坂は東京市内と練兵場との間を行き交う兵隊たちで一日中混雑していたという。

坂上部の東側、現在郵政公社のアパートとなっている場所を含む一帯は、かつて大山巌の大邸宅であった。

神宮前5−14、天理教東中央教会の西裏を北へ下る坂で、坂の形が木の根っこのように曲がってみえることから、この名がついたと言われています。江戸時代の地図にも載っており、表参道が出来る以前は町内のメインストリートで、字の地境でもありました。

キャットストリート


明治通りと並行して渋谷と表参道を結ぶキャットストリート。
なだらかなカーブの歩行者専用道路にトレンドを敏感に反映したショップが軒を連ねますが、
このエリアはその最先端の佇まいからは想像も付かないほどの奥深い歴史を秘めています。

現在の渋谷川遊歩道の周辺には、おそらく縄文時代から人が住んでいたようです。
あまり知られていませんが、あちこちから遺跡が出土するため、文化財保護区にも指定されています


「隠田」から「穏田」へ


かつては穏田川と呼ばれ、水車を回していた渋谷川

キャットストリートを含む商店街は、現在は穏田商店会と呼ばれています。
当時はのどかな農村で、現在のキャットストリートがある場所には渋谷川が流れていました。
穏田には渋谷川の水流を利用した水車があちこちにあり、その光景は葛飾北斎によって富嶽三十六景の一つ「隠田の水車」として描かれています。



昭和10年代には、穏田には木造の平屋や二階建ての民家が密集し、渋谷川は近所の子どもたちの格好の遊び場となっていました。
ウグイをはじめとする魚が泳ぎ回る清らかな小川で、一説には童謡『春の小川』のモデルになったともいわれています。
また、キャットストリートと明治通りをつなぐ商店街は、戦前から周辺の住人の“台所”として賑わい、「おかず横丁」と呼ばれていました。
渋谷や原宿の界隈では最も古い商店街
アパレルショップが建ち並ぶなか、今でも古い青果店や米屋、酒屋などがポツリポツリと残るのはその頃の名残です。
しかし、そんな穏やかな住宅街の風景は、1964年の東京オリンピックの開催を境に大きく変わっていきます。
表参道とは違い、ストリート感覚の強いショップが集まる

えさをもらう猫の姿もちらほら

その年、既に周辺の民家からの生活排水で汚染が進んでいた渋谷川は暗渠化され、アスファルト舗装の道路となりました。
当時はまだ、この界隈は住宅街で子どもたちが大勢いましたが、周辺に公園がないことが悩みの種だったそうです。
そこで、子どもたちの遊び場をつくろうと、現在のキャットストリートがある場所に滑り台やブランコ、砂場などが設置されました。
渋谷から表参道まで、ずっと続く、随分と細長い公園でした。
今も渋谷側に少し遊具が残っているでしょ。それは当時の名残だそうです。

そこに野良猫が集まってきました。
『キャットストリート』という名称の由来には諸説ありますが、そのように多くの猫が集まっていたからというのが最有力の説
その後道路が整備されると、通りは賑わいを増しました。
神宮でスポーツを観戦後、この通りを歩いて渋谷駅方面に向かう人が通るようになりました。
とりわけ早慶戦の日の人波はすごかったそうです。

やがて”ファッションの街”へ

この界隈には昔から、いくつかの洋裁学校がありました。
そこを卒業した人たちが自分流の服を作って、この辺りの洋品店に売るようになった。

さらに1982年には、キャットストリートの渋谷側の入り口付近に「ピンクドラゴン」が誕生。
1987年頃からは区の整備事業としてキャットストリート一帯の整備が進み、現在の遊歩道の原型が整えられました。

そして大きな転機となったのが、バブルの頃から表参道に有名ブランドがこぞってショップを出店し始めたことです。
その影響でキャットストリートにもショップが増え始めましたが、表参道と大きく異なるのは、ストリート感覚の強いショップが多く集まったことでした。
90年代半ばから古着系やインディーズ系を中心とした個性的なショップが集い、「裏原宿」と呼ばれて流行の発信地となったことがそれを象徴しています。
さらに並行して、1998年「パタゴニア」、2000年「ユナイテッドアローズ」「hhstyle.com」など、ファッション系やデザイン系の大型ショップもオープン。
若者の個性や感性を重視するエリアとして、現在もトレンドの発信力をますます強めています。


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