穏田神社
穏田神社
【祭神】 淤母陀琉神(おもたるみのかみ)
阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)
櫛御倉野神(くしみけぬのかみ)
【例祭】 9月9日(現在は9月9日に近い土、日曜日)
【宮神輿】 当神社の宮神輿は製作者不詳ですが大正九年制作の80年余を経た由緒あるものです。第二次大戦の戦火にも耐え、昭和20年以降は数回の渡御が行われています。

 平成15年11月に解体修復を業者に発注。 平成16年夏には大正9年作成時への復元を完成し、9月の例祭には渡御が予定されています。
【由緒】  創立沿革は定かではありませんが、旧穏田一円の産土神として古く、天正18年(1590年)徳川家康が関東の領主となり、天正10年の「本能寺の変」に際して武功をたてた伊賀衆が、天正19年此の穏田の地を給地に賜ってから、それまで土地の者で維持されてきた神社も以来祭儀が盛んに行われるようになり、土地の鎮守として、面目を一新し、神徳も顕揚して、明治維新に及んでいるといわれています。

  江戸時代には第六天社と称していましたが、明治維新の際に穏田神社と改称しました。明治18年には穏田村 84番地に鎮座していた熊野神社を合祀しています。熊野神社は元広島藩主松平安藝守光晟公室自昌院が再建し たと伝えられています。

  明治44年には、社殿、神楽殿、水舎、社務所、鳥居、石段等を新築又は改築しておりますが、当時、社殿、神楽殿、水舎、社務所等は百数十年を経た古色蒼然たる茅葺きの建物であったといわれています。

 大正14年、穏田消防組が中心となって、境内整備を行い、狛犬を奉納しました。

 昭和天皇御大典の記念事業として、社殿の増改築、屋根の葺替、神楽殿、水舎の改築、社務所、神輿庫の新築等を行い、神社施設を完備しましたが、千駄ヶ谷には村社八幡神社があり、原宿には村社熊野神社がありましたが、穏田神社のみは無格社ということで、氏子の誠意により、昭和3年9月25日社格申請をし、同年11月2日に村社に昇格しました。それ以後、神事は多忙になり、例大祭には社頭は神賑し、参拝の方々が大変多くなりました。

 昭和20年5月25日の戦災により、神輿庫を除いて、神社施設全てが烏有に帰しました。

 昭和31年、氏子崇敬者の寄進により拝殿・水舎が再建されました。

 平成10年、全面改築。境内末社稲荷神社再建。

 
改築前の社殿